沿革

学校沿革

70 年代後半から80年代にかけて日系企業のバルセロナ進出が顕著になったとき、現地の日系企業が中心となっていたバルセロナ水曜会の中で補習授業校の必要性 が議論されるようになりました。そして、1981(昭和56)年に教師3名と在留子女32名で日本語補習校が設立され、翌年には中学部も加わりました。一 方、国際結婚をして現地に生活している家庭の子供達への日本語教育を行うグループもありました。記録の上では1990(平成2)年に二つのグループが一緒 になり補習クラスを発足させています。

 

1986 (昭和61)年4月に開校したバルセロナ日本人学校には、補習授業校で国語教育を受けていた児童生徒の大半が移籍することになり、一時、補習授業校の存在 そのものが危うくなりかけた時期もありましたが、インターナショナル校に学ぶ子供たちのために補習授業校は残されたのです。

 

1992 (平成 4年)年、バルセロナ水曜会の協力を得て、補習授業校は日本政府へ正式に設立の報告を行いました。1993(平成 5年)年、それまで現地の施設を借りな がら授業をしていたバルセロナ補習授業校は日本人学校の校舎に保護者と児童生徒が集まり、毎週土曜日に授業を行うようになりました。そこには、日本からの 駐在員の家庭の子供たちと国際結婚した家庭の子供たちが一緒に机を並べることになったのです。

 

1994 (平成6年)年には日本政府から助成金を受けることができるようになりました。 運営面ではとても心強い援助でした。1996(平成8年)年から1998(平成10年)年の3年間、児童生徒数は33名から39名で推移しています。しかし、 翌1999(平成 11年)年には23名の児童生徒で新学期を始めざるを得ないという運営自体に困難をきたす状態でした。その後、幼児部を充実させ全体の児童 生徒の数は上昇傾向になりましたが、駐在員の子供たちが占める割合は、逆に減少していきました。

バルセロナ 補習授業校はカタルーニャ州政府へ協会法人としての申請を行い、2003(平成15年)年3月より正式に「協会」として認められました。2024(令和 6年)年度を迎える現在、幼児部、小学部、中学部の総数は 110名を越え、会員家族数は 86を数えています。国際結婚の家庭が増えている現在、今後、ますますの会員増加が予想され、バルセロナ補習授業校は新たな展開を迎えることとなるのです。